第3回『百年後の日本人へ』現代の志士・手紙コンクール入賞作品

 当コンクールは、今を生きる私達から100年後の日本人宛ての手紙を広く全国から募集し、優秀作品には賞を送り、そのメッセージを後世に残していくことを目的に開催しています。

約150年前に書かれた坂本龍馬や幕末維新の志士たちの手紙は今もイキイキと私たちの心に響き、励ましてくれます。全国の皆さんから寄せられた応募作品に込められた志や決意、そして未来を生きる日本人へのメッセージは、今後多くの人々の心に響き、時代を越えて受け継がれていくことでしょう。 ここでは、応募作品全30点のうち、受賞作品10点の作品をご紹介します。




入賞作品及び作者名

■北海道知事賞(1名)

竹村 優花(熊本県宇城市立小川小学校5年生)


「百年後の日本人へ」  こんにちは。今この手紙を書いているときは百年前の2017年3月11日です。3月11日といえば、6年前に、「東日本大震災」という大きな地震がありました。この地震でたくさんの方々が亡くなり、行方不明者も出ました。亡くなった方は、15、894人で、6年たった今でも2、562人もの行方不明者がいます。  そして、2016年4月14日に熊本県でも「熊本地震」という大きな地震が起きました。
 4月16日は小川小学校で、かんげい遠足があり、その日の夜9時29分に、震度7のはげしいゆれが起きました。  そして、4月16日深夜1時14分に本震が起きました。私は家族といっしょに外に出ました。前の地震より、ゆれが大きかったから、心ぞうがドキドキしていました。
 津波注意報が出たとき、私はテレビに映るあの東日本大震災の光景が頭の中によみがえってきました。  おそろしい速さで、建物や人が流されていく様子。水がこしのところまできていて、流されないように必死に木につかまっている人。家の屋根にのぼって、助けを求めている人。
「私も、このまま死んじゃうのかな…。」 と思ったりもしました。でも、津波注意報もかいじょされ安心しました。あの時のきょうふは、今でも忘れません。
 しばらく、ひなん所の小川小学校での生活が続きました。慣れない生活の中、地域の方々や、先生方におにぎりやお茶を配っていただき、改めて、人は支え合っていきているんだなぁと思いました。  百年後も大きな災害が起きていますか。そして、人と人とのつながりを大切にし、支え合っていきていますか。私は、百年後には、ロボットなどが開発され、人と人とのつながりが少なくなるかもしれないから、人と人とのつながりを大切にしていってほしいと思います。
 今、学校で流行していることは、「ピコ太郎」という人がする、 「ペンパイナッポーアッポーペン」 という音楽です。ピコ太郎さんは、CMにもたくさん出ていて、海外でも人気です。 教室でみんなも、 「ペンパイナッポーアッポーペン」 と言っています。
私は今、小学5年生です。5年生では、環境の学習をして「地球温暖化」も学びました。百年後の日本人のみなさん、日本はだいじょうぶですか。水はちゃんとじゃ口から出ていますか。夏は、気温がどんどん高くなってきていませんか。地球温暖化は、私たちが防いでいかなければいけません。百年後も、環境を守っていってください。 私がこの手紙を書こうと思ったのは、百年後の日本人に手紙を書いて、その手紙を百年後まで残すことが出来る経験はあまりなく、百年後の日本人へ質問などをしてみたいと思い、書きました。 百年後の日本人のみなさんも、百年前の日本、何千年前もの日本に興味を持ってください。昔の日本の事を少しでも多くの人に知ってもらえたらうれしいです。




■北海道教育委員会教育長賞(1名)

能令 樹(熊本県宇城市立小川小学校4年生)


「百年後の日本人へ」  こんにちは、わたしは今から百年前の小川小学校の生徒です。百年後にわたしの手紙を読んで知ってほしいことがあります。それは熊本地しんのことです。熊本地しんは東日本大しんさいと同じくらい大きな地しんでとうとい命が失われてしまいました。4月14日9時36分熊本地しんがおこりました。その日は遠足だったのでルンルン気分でわたしはねむたいのでとなりのへやに行こうと立ったしゅん間、大きな地しんが起きました。「熊本は地しんはこない。」と思っていたのに地しんが来たので、ただつくえの下に入ってふるえるぐらいしかできませんでした。

 学校が始まってもいつくるかわからない地しんで、一日中そわそわしました。学校は家よりまどがおおいので、「地しんがきてまどがわれてしまったら。」「もしもそのまどのはへんが体にささったら。」ということばかり考えていました。朝おきる時もねる時も不安でした。でも少しずつ地しんになれてきました。でも弟はちがいました。ねる時も出かける時も、「つなみが来るからこわいよ。」とずっと泣いて、ご飯もぜんぜん食べませんでした。テレビをつけても死んでしまった人のにん数や、じこにあって土にうもれた人を助けていると中のニュースばっかりで、「わたしにはなにもできないのか。」という言葉がずっと頭の中からはなれませんでした。
 しかし、町は少しずつ立ち直っていきました。ほとんどしまっていたお店が少しずつ開いていきました。いろんな県の方々が熊本のためにぼ金に協力してくれました。それを知ってわたしもお金をため始めました。千円たまったらぼ金しようと思います。わたしはつらい毎日からぬけだせたので、今はいつも笑ってすごしています。
 百年後のみなさんへ、みなさんの今のくらしはどうですか。自然を大切にしていますか。わたしは今よりもっと科学が発達してると思います。きっと今より住みやすい日本になっていると思います。百年後のみなさん、つらいことがもし起きても負けずにがんばってください。わたしもこれからせいいっぱい生きていきていきます。




■函館市長賞(1名)

福永 美遥(熊本県宇城市立小川小学校五年生)



「百年後の日本人へ」 百年後の日本人のみなさんこんにちは。今、この手紙を書いているのは、今から百年前の2017年の3月24日に書きました。3月と言えば・・・「卒業式」です。熊本県の宇城市の小川小という小学校に通っています。小川小も昨日が卒業式でした。わたしは、ピアノのばんそうを務めました。さみしい気持ちもありました。でも6年生のために最高にいい卒業式にできたのでとても良かったです。話は、変わりますが、一ヶ月後は、4月です。4月14日は、熊本地震から一年がたちます。わたしは、初めての経験でとてもが十個つくぐらいとてもこわかったです。わたしの家族は、年がはなれています。一番上のお姉ちゃんは、28才で二番目のお姉ちゃんは、26才、そしてお兄ちゃんが22才です。とくにお兄ちゃんと、二番目のお姉ちゃんは、熊本に住んでいるので家族全員が電話をしていました。その日は、車中泊をしました。
 次の日は食料を買いに近くのスーパーにいきました。わたしたちの家族は、カップラーメン、パン、飲み物などいっきに買っていました。ひとだんらくついたと思えば本震。とても大きなものでわたしは、「絶対に夢だ」と思いましたが現実でした。
 このように地震がとても多い日本。今は、どうですか。わたしは、今より少なくなってほしいと願っています。  さてみなさんにクイズです。
「2017年のアメリカ大統領は、だれでしょう。」 百年前のことですし分からない方々は多いはずです。演説で 「アメリカを一番最初に考える。」 と述べていたトランプ大統領です。最初は、クリントンさんと同点になるぐらいの決戦でしたが最後にトランプさんが点数をはなし勝ちました。わたしは正直クリントンさんが大統領になってほしかったですがしょうがないことですし・・・ただわたしの願いは、戦争が一つもない地球にしてください。わたしは、戦争と聞こえただけで耳をふさいでしまいます。これは今、生きているだれもが思っています。みなさん目をつぶり考えてみてください。今、近くで戦争が起きているのに、この記念館に来ることができますか?今、近くで戦争が起きているのにご飯を食べに行ったりすることができますか?できませんよね。戦争がないだけで日常であることが幸せに思えるんです。戦争だけはしないでください。
 今、この社会で問題になっているのは、森友学園という4月から開校になる学校です。しかし、費用などのうそがばれ、今、開校するのは、むずかしい状たいです。百年後は、そんなことがないように気をつけてください。  
 みなさん、足をとめて、わたしの文章をよんでくださり、ありがとうございました。今は、悪いこともあって、良いこともある現実です。百年後は、良いことが多い現実にしてください。ありがとうございました。




■函館市教育委員会賞(1名)

白石 里穏(熊本県宇城市立小川小学校6年生)


「百年後の人達へ」
  こんにちは、百年後のみなさんお元気ですか。この手紙は、百年前の12才の子供の私が書いたものです。そして、私はもうこの手紙を読んでいるあなた達の時代には、もう存在していないはずです。でも、最近、この手紙がまた読める112才まで、どのようにしたら生きられるか考えました。まだ、12才の私ですが、あと百年生きているとしたら、たくさんの条件がそろって生きていると思います。まず一つは、年をとってからの自分の身体、体力です。さて、未来のみなさん、年をとった人が若い人のように働ける道具がありますか。そうすれば、支える若者が少ない問題はありません。生きていられる年齢制限もあるという予想です。22世紀ではあと、人口も増えているでしょう、人が住める星がもう一つありますか。さらに、水、食糧問題を防ぐ道具なども存在していますか。人口が増加していくと、今のこちらの時代でも今後なるかと予測されている食糧問題を私は一番心配しています。理由は、あなた達が食糧による戦争に巻きこまれて、この手紙を読むのもやっとぐらいになっているのかもしれないからです。まるで、70年前のように、みなさんからしては170年前のように、戦争で人生が苦しまれていたらどうしようと思います。
 だから、最後に二つ、みなさんにやってほしいことがあります。それは、これからさらに発明されていく道具があると思います。そのような物をたくさん作っていくうちに、地球の自然を人間がどんどん破壊していきます。その分、地球にやさしい物を造ってください。例えば今は、風力発電で、火を使って二酸化炭素という気体を出して電気をつくるのではなく、風の力で電気をつくります。造らない人は、自分で考えて、地球にやさしい行動を行ってください。
 あと一つあります。まだ私も子供で、社会に出てよい国を、よい世界を創っていくのは、まだまだです。でも我々の世代がよい社会を創っていき、私達がもうやりきった後、あなた達がよりよい国をよりよい世界をつぐための後つぎになってください。
 そのまた先の未来のために、おたがいがんばりましょう。




■毎日新聞社賞(1名)

高橋 開斗(熊本県宇城市立小川小学校6年生)


「百年後の日本人のみなさんへ」
「百年後の日本人へ」
 ぼくは今、12才です。百年後は、112才です。生きているかは分からないけれど、百年後の日本人へ、今の日本をできるだけお伝えしたいと思います。
 まず、今日本人には欠かせない、スマートフォンについてです。このスマートフォン1台で、遠くはなれた人と会話ができたり、メッセージを送れたり、ゲームができたり、音楽が聞けたりと、日本人にとって欠かせません。百年後には、このようなスマートフォンに似ているものはありませんか。それか、もっと進化したのがあるのかもしれません。このようなスマートフォンによって、事故も起きています。このようなことは起こっていませんか。
 次に環境問題についてです。今、ぼくは、地球の環境問題について勉強していますが、今、世界では「地球温暖化」が問題となっています。「地球温暖化」とは、地球全体の温度が上がることです。百年後の日本の平均気温は何度ですか?
 最後は、ぼくの知りたいことだけれど、宇宙人はいますか?今、宇宙旅行に行けそうと話題になっています。百年後の日本人のみなさん、宇宙旅行に行きましたか?宇宙人はいましたか?ぼくの中では、宇宙人は、たこの形をしています。食べるほうですよ。(笑)
 百年後、ぼくにはどんな日本になっているか想像がつきません。でも、きっとすばらしい日本になっていると思います。けれど、これだけは言っておきます。絶対に戦争はしないでください。そして、世界中が平和になれるようにがんばってください。




■北海道新聞社賞(1名)

谷口 昂生(熊本県宇城市立小川小学校4年生)


「百年後の日本人へ」
 百年後のみなさん、こんにちは。わたしは、今10才です。百年後は、110才ですが、もういないかもしれません。ただ生きていれば今、読んでいる方々に会いたいです。 2016年の4月14日、4月16日にものすごい地しんがありました。ぼくは、テレビで熊本の方々が、地しんでなくなっているのを知りました。そのなくなった方々の家族は、とってもつらいと思っていました。だから、百年後のみなさんには、地しんがあってもぶじに生きていただきたいです。なぜなら、もう百年後のみなさんには、つらい思いをさせたくないからです。そのために、いつ地しんがきてもいいように、じゅんびをし、そなえをしておきましょう。
 わたしは、いきなり地しんがきたのでどうしていいかわからず、きょうふにもおそわれていました。町は、大さわぎでした。わたしのおばちゃんの家は、水がはんらんしてガスもれがおきていました。わたしがなぜこんなことを言うと思いますか。なぜなら、百年後のみなさんが心配だからです。地しんのこと以外にもみなさんに伝えたいことがあります。百年後は、いろんな機械が開発されると思います。その機械が事故につながったら多くの方々がなくなるからです。ただその機械は、役に立つかもしれません。それにゆだんをしないようにしましょう。
 それから今、はやっている「SNS」があります。それは、とってもきけんなアプリです。なぜならこじんじょうほうを流され、自分をねらう人がいたるところにいるからです。だからあまりSNSをしないようにしましょう。ほかにも、お年よりの事故がたくさんテレビで見られます。お年よりの方々が運転をしていて下校中の子どもたちがなくなっています。必ずルールを守りましょう。わたしが気になっている百年後は、ゲームのことです。ゲームがふえると、子どもののうがゲームだらけになるのでゲームは、あまりしないようにもしましょう。  わたしは、百年後のあなたたちに、2017、2016年のことを話しました。百年後の日本を百年後の方々にまかせます。どうかぶじにくらしてください。手紙を読んでくださりありがとうございます。終わり。 平成29年3月13日




■審査員特別賞(1名)

坊垣 心都(岐阜県岐阜市立市橋小学校3年生)


「百年後の日本人へ」
こんにちは。わたしは岐阜市にすんでいる小学3年生の坊垣心都といいます。いまはスイミングとそろばんと習字を習っています。本当はピアノを習いたかったのですが、 「ピアノがないしピアノで練習できないからだめ。」 とママがいったのでならえませんでした。
 百年後の小学生は何をならっていますか。
 サッカー?野きゅう?やっぱりピアノ?
 わたしは百年後でも習字がいいと思います。百年後でも自分で手紙を書くことがあると思うからです。字をきれいに書くことはすごく大事だからです。たとえばきれいにかいてあるお手紙を見れば、その人の心もきれいだとかんじる人がたくさんいるからです。字をきれいに書くことで人にたいする見えかたがかわってきます。
 つぎにわたしがおすすめなのが、そろばんです。そろばんは日本でむかぁしからあるものです。そろばんをしているといつのまにかむずかしい計算も暗算でできてしまいます。うんどうも大事ですがぜひさんこうにしてください。




■審査員賞(3名)

坊垣 妙泉(岐阜県岐阜市立市橋小学校1年生)


「百年後の日本人へ」 こんにちは。わたしはぎふしに住んでる小がく1年せいの坊垣妙泉です。小がっこうではおともだちとうんていをしたり、つみきであそんだりしています。
 百年ごの小がくせいはなにをしてあそびますか?わたしのまわりには、けんだまであそんでいる人がいます。けんだまってしっていますか?あなのあいたたまにひもがついていてじゅうじがたのかたちをした三つのおさらととがったところにたまをのせたり、さしたりするあそびです。わたしはれんしゅうしてもなかなかうまくなりませんが、じょうずな人がやっているところをみていると、まるでだんすをしているようにかっこいいです。
 つぎにみんながすきなのが、こままわしです。こままわしはこまにひもをぐるぐるまいてこまをまわすあそびです。わたしはまだじょうずにまわすことはできませんが、うまい人はての上でまわしたりします。
 けんだまもこままわしもむかしからあるあそびです。やってみるとうまくなりたいとおもうあそびです。むかしからのものを大じにすることはすてきだとおもいませんか。





末永 卓哉(宮城県仙台市/一般)


 「百年後の日本人へ」
私は宮城県で筋ジストロフィーのために、病院で職員の支援を受けて療養生活しています。現在の医学では筋ジストロフィーの完治は無理ですが、パソコンで詩を書いたりして楽しい日々です。
 それはさておき、百年後の日本はどんな国になっていますか。再生医療で多くの難病は完治出来ていますか。福島原発のような原子力発電はなくなり、風力発電や太陽光発電でエネルギーを賄えるのか、ロボットが災害対応で人を助けたり、地震や台風の予知がスーパーコンピュータで出来るのかと聞きたいです。
 前者の理由は筋ジストロフィーの苦難を、未来の日本人に味あわせたくない。後者の理由は東日本大震災で多くの命が奪われ、福島原発の解決が今もされていない。そんな状況を福島と同じ宮城県の被災者として、私は歯がゆい感覚に襲われているからです。
 だからこそ百年後には日本の技術で、日本が東日本の悲劇に二度と襲われない国になってほしい。そう思ってこの手紙を百年後の日本の皆さんに送ります。今よりも日本の未来が良いものだと信じています。




鵜飼 勢津子(北海道函館市/一般)


「百年後の日本人へ」
「西暦 2017年 平成29年 5月17日 水曜日 午後4時37分、死亡を確認いたしました。ご愁傷様です。」 ドクターが時計を見ながらそう一言言って、深々と頭を下げた。母が亡くなった瞬間である。正確には、ドクターが病室に到着して、繋いでいた機材のアラームが鳴り響く中、数値がゼロを示していたのを、ドクターが確認した時間だった。
 今回の入院は半年間に及んだ長いものだった。何か様子がおかしいと思い、病院へ行っただけだった。検査をしているうちに、みるみる悪化していった。救命科のドクターか(非常に危険な状態です。何が起こってもおかしくないくらい、首の皮一枚でつながっているような状態です。直ぐにICU救命病棟へ入院です。) そう告げられた。そこでは、消えかかっている蝋燭の炎がそこココにあった。ドクターもナースもその炎を消すまいとして、日々戦っている戦場だった。母の戦いが始まった。私は、ただただ神に祈る日々だった。
 あの日から172日。一進一退を繰り返しながら、懸命に頑張った。けれど、とうとう力尽き、旅立って行った。
 思えば、母の人生は病との戦いだった。結婚を機にこの地に嫁いできてから健康で子育てに励んでた年月。それが、脳内出血を発症し手足の自由と言語を奪われ、のちに再発。生きていくために大切な食べることさえもできなくなり、点滴(経管栄養)だけになり、最後に重い心臓病を患った。闘病生活は35年、人生の半分近くにもなっていた。そんな寝たきりで全身介護の必要な状態でも、家にいて、笑顔を見せてくれているのが嬉しかった。
 昨年、私は「百年後の日本人への手紙コンクール」に応募した。介護の合間に書いたので、上手な出来とは言い難かったけど、母に読み聞かせると笑ってくれた。コンクールでも高評価を頂けて嬉しかった。興味があった「幕末の志士」については、調べてみようかと思ってはいたけど、やっぱり時間がなくてできなかった。「五体満足な身体でなくても、そこに存在してさえくれていれば、心の支えになっていることだってある」とも書いた。嘘ではない。現に、私にとって母がそうであったからだ。
 今を生きている現代の志士である私は、父を亡くした時よりも、母を亡くした今、気持ちが沈み、とても落ち込んでいる。写真を見るたび、涙が出る。街で母と係わってくださった方に再会するたび、涙が出る。母が使っていた枕を見るだけでも、涙が出てきて未だに捨てられない。しばらくは、寂しさと涙に戦っていかなければいけないかもしれない。
 巨大な歴史の歯車の前では、無に等しい私だけれど、両親がくれた大切なこの命。有り難いことに、いま私は、五体満足な身体である。これからいつまで健康な身体でいれるかどうなるかはわからないけれど、百年後の未来では、私は存在していないだろう。だからこそ、今をしっかり生きて、私と関わって下さる方々に、私の持てる少しの知恵と勇気を使い、ご恩返しがしたい。その方々が百年後の日本人へと繋がってさえくれれば、それで良いと思う。
 ちっぽけな存在の私が、今言えることは、やはり『今をしっかり生きてほしい』その一言に尽きる。 百年後、日本はどうなっているかわからないけれど、平和で豊かな国であってくれればと思う。私と同じ時代に生きているみんな、ちょっとだけ頑張ってみようよ?私も、ギネスブックに載ってもおかしくないくらい、長く病気と闘った母に恥じないように頑張るからさ…。
 お母さん、長い間頑張って生きてくれてありがとう。お疲れ様でした。天国では、お父さんとなかよく幸せに暮らしてください。  そして一言…、私はあなたの子供として生まれてこれて良かったです。  百年後の日本人のみなさーん、あなた達のご先祖には、こんなことを思っていた人もいたんですよ。笑わないでくださいね。 おわり


以上、計10作品