咸臨丸と北海道
■前回に引き続き、岩崎弥次郎さんから寄せられた情報をお届けします。今日は咸臨丸(かんりんまる)について↓
「会報第10号にも載っていた咸臨丸のネタです。咸臨丸は、会報にも書かれていた様に勝海舟や福沢諭吉らをその背に載せ外国を巡った他、静岡県清水市では清水次郎長親分も関わっていた事もあるという船です。しかし、老朽化して軍艦としては退役してからは、主に輸送船として北海道開拓民の移送をしていて、最後の仕事は仙台の片倉小十朗の家臣一団を函館に送る事でした(この皆さんは、札幌白石区の基礎を作りあげた方々だそうです)。
その最後の仕事を終えた後、北海道木古内町(きこないちょう)サラキ岬沖にて、座礁転覆してその生涯を終えました。座礁転覆した原因は、一説には嵐に遭遇したと言われていますが、証言者の言動に矛盾があったりして未だ分かりません…。しかも、江差沖に転覆した旧幕府軍旗艦・開陽丸(かいようまる)は海中捜索をして様々な物を引き上げた他、復元もされたというのに、それよりもはるかに実績のある咸臨丸は、復元どころか「サラキ岬沖で沈んだ」という伝承のみで捜索されてもおらず、サラキ岬にはその碑文と、ミニチュアの咸臨丸が展示されているのみという悲しい現状です」