17歳の硫黄島

今日は函館市内で行われた講演会に参加してきました。タイトルは『17歳の硫黄島・少年兵が語る、玉砕戦の真実』。講演者は17歳で通信兵として硫黄島に派遣され、意識不明の状態から奇跡的に生還した経験を持つ秋草鶴次氏(82歳)。
硫黄島での日米対戦については様々な映画でも描かれていますが、やはり経験者による生の体験談には重みがありました。以下、秋草氏の著書からの抜粋です。
■「その後また移動して一番奥の土豪のそばに腰を下ろした。しばらくそうしていたが、俺は意を決してひとり再び東の見張所に行った。そこにあった知人の屍はもうなくなっていた。俺はその場所に身を横たえて過ごすことにした。目覚めてはうじを食し、しらみを食べて、またウトウトと寝る。体力の限界と戦う長期戦だ」
この後間もなく、秋草さんは意識混濁に陥ります。意識を失っていく過程で以下のような夢を見たそうです。
■「故郷の大勢の人々が、こっちを向いて遠くで手を振っている。俺が一人で行く先には石ころばかりの河原が横たわり、子供たちが小石を積んで遊んでいる。そのそばには純白の衣を着た大きなお地蔵様が立っている。(中略)少し奥に入ると、文殊菩薩と名乗る人に出会った。その人は“ここまで来たら、もうお帰りなさい”と言う。俺はどうしていいかわからず黙っていた。すると“ここに来ると食べ物はいらない。水もいらなくなる。でもあなたはお腹が空いていて、水も飲みたいと思っている。だから、腹いっぱい食べて、水をたくさん飲んでから来なさい”と言った」
やがて、秋草さんは意識を取り戻しました。その時はグアム島の捕虜収容所のベッドにいたそうです。最後に「謝辞」とタイトルがつけられたあとがきから。
■「死を覚悟して敵前に身をさらし、爆弾や鉄砲弾による直撃弾などで戦死する者の多くは“天皇陛下万歳!”と一声を上げて果てた。重傷を負った後、自決、あるいは他決で死んでいくものは“おっかさん”と絶叫した。負傷や病で苦しみ抜いて死んだ者からは“バカヤロー!”という叫び声をよく聞いた。“こんな戦争、だれが始めた”と怒鳴る者もいた」
戦争は悲惨であり、決して繰り返してはならないと思います。しかし、だからこそ、過去の戦争についての客観的な検証が重要だとも思います。そういった意味でも、歴史を正しく学ぶことがとても大切なのではないでしょうか。


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