‘記念館Blog’ カテゴリーのアーカイブ

ヨーロッパ人から見た日本観

2009 年 6 月 6 日 土曜日

 

『一度も植民地になったことがない日本』(デュラン・れい子著、講談社+α新書)、この本は2年程前に発行されて話題になった本です。

 



 

とてもインパクトのあるタイトルに思えますが、わかっている人には至極当然のことのように思えるでしょう。しかしその一方で、形式的には一度も植民地になっていないとはいえ、その実情は某国の植民地化しているとみる向きが多いのも事実です。

 

この本の著者は東京生まれの日本人女性で、スウェーデン人と結婚後、主にヨーロッパ各地で生活され、客観的な視点で日本人について書いておられます。日本人がヨーロッパの人々の目にどのように映っているのかを客観的に知ることができます。

 

印象に残った部分を抜粋してみます。

 

■「安土桃山時代、はるばる日本に来航したスペインやポルトガルのバテレン(宣教師)たちのことは、よく知られている。彼らはヨーロッパの珍しいものを多数持参し、織田信長などの興味を引いたが、彼らの真の目的はキリスト教布教とともに母国の領土を拡大することだった。つまり彼らは我が日本をもフィリピンやマカオ同様、植民地にしようとしていたのだ。このことに興味を示す日本人が少ないのはなぜだろう。だから信長に続く日本の為政者たちがキリスト教を恐れたのは正しい判断だったと思う」

 

■「(著者の夫) “日本は運がいい。いや、運がいいのでなく頭がよかったのだろうな。だって織田信長のころ宣教師が来日したときや、徳川時代の終わりに西欧の国々が日本に開国をせまったときも、植民地になる危機があったわけだろ?” (著者)ハッとした。そういう考え方を日本の学校の歴史の時間に習った覚えがなかったからだ。たぶん、今の中学生、高校生も習っていないだろう。幕末の日本人の中で、アフリカや南米と同じように日本が植民地になるという恐怖を抱いた人が、はたしていたのだろうか

 

幕末日本が植民地とならずにすんだのは、勝海舟や坂本龍馬をはじめとする志士たちの活躍があればこそと思います。彼らの真骨頂は、世界を見渡すその眼識だったのではないでしょうか?


榎本軍上陸の地

2009 年 6 月 3 日 水曜日

 

函館市の隣町、森町の鷲ノ木には「榎本軍鷲ノ木上陸地跡記念碑」があります。



明治元年(1868)10月20日、榎本武揚率いる旧幕府軍がこの地から北海道に上陸し、ここから箱館戦争が始まります。この日は積雪30㎝の暴風雪だったそうです。上陸した兵士たちはどのような心境だったのでしょう・・・。

 

右の写真はこの場所から見える駒ヶ岳と噴火湾の美しい景色。静かな漁村が海岸沿いに続いています。旧幕府軍が上陸した時の駒ヶ岳は白い雪に覆われていたことでしょう。

 

ちなみに、鷲ノ木は国指定史跡「環状列石」(ストーンサークル)も有名で、北海道・北東北を中心とする縄文遺跡群の1つとして世界文化遺産暫定リスト入りしています。

 

縄文と維新の歴史が染み込んだロマン溢れる土地です。


龍馬ファン来る!

2009 年 5 月 31 日 日曜日

 

ここのところ函館はあいにくのお天気・・・。しかしそんな中、今日も龍馬ファンが訪ねてきてくださいました!

 



 

写真は札幌から観光で来られた山崎さん。すらりと足の長いイケメン!北海道と坂本家の関係についてはあまりご存じなかったようで、直行さんゆかりの品々や龍馬さんの遺品が納められていた木箱などを見て大変感激し、募金と署名に協力してくださいました。

 

 

ファンの方が喜んでくださることは、私たちにとって何よりも嬉しく励みになります。北海道の龍馬ファンの皆さん、皆の力で記念館をつくり、龍馬さんの夢を具現化しようではありませんか!

 

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