時習館

■今日は、読者Tさんからのレポートをご紹介します↓
「これは札幌市・西区にある『時習館』の記念碑。明治5年(1872)、旧白石藩の人たちが入植、その一人、三木勉(つとむ)が自宅を開放し、初めて開拓者の子供たちの教育の場とした私塾である。当時、公設では函館、札幌にあったが、札幌の私塾では一番古い。
『時習館』の名前の由来は、論語 “学びて時に之を習う亦説ばしからずや” からとったもの。当時、未開の地、荒れ野原を開拓していた子供たちは、手伝いのために読み・書きは習えない状況であった。
三木は、“開拓の第一歩は子供の教育にある” と、読書・習字・算術を教えた。三木は、そのころ34歳。剣道の達人でもあり、地域の開拓、教育での先駆者的役割を担っていた。その志は、明治新政府の学校教育に影響を及ぼした。
この碑の前に佇んで、三木勉の若き情熱が伝わってきた」


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