北海道坂本龍馬記念館 館長ブログ


北海道坂本龍馬記念館からお知らせや、行事報告などをこちらでは投稿しております。

第42回箱館五稜郭祭

2011 年 5 月 27 日

5月21日と22日の2日間、函館市中心部を舞台に「第42回箱館五稜郭祭」が盛大に開催されました。

この行事は、戊辰戦争の舞台となった五稜郭にまつわる歴史を後世に伝えると共に、函館の基を築いた先人の遺徳を偲び、箱館戦争で戦没した無名戦士の慰霊を目的として昭和45年から開催されているものです。

1日目は、箱館戦争ゆかりの地を巡る「碑前祭」や、「土方歳三コンテスト全国大会」が開催されました。碑前祭は、箱館戦争で戦死・自決した「中島三郎助父子最後之地碑」、榎本武揚らの呼びかけで建立された旧幕府軍戦死者を慰霊する「碧血碑」(へっけつひ)、新撰組副長として知られる「土方歳三最期之地碑」、そして五稜郭タワー前に建立された「箱館戦争供養塔」においてしめやかに執り行われました。また、土方歳三コンテスト全国大会は、函館の地で最後を迎えた土方歳三にちなみ、仮装や寸劇などで“なりきり度”を競うユニークな恒例行事です。



2日目は、ペリーの箱館来航から箱館戦争終結までを題材に、約500人が当時の旧幕府軍・官軍に扮して戦闘シーンを再現する「維新行列・音楽パレード」、そして旧幕府軍から明治新政府軍への五稜郭明け渡しを再現する「開城セレモニー」などが函館市中心部~五稜郭にかけて盛大に開催されました。







維新行列では、朝廷の命により龍馬の養子となって跡目を継いだ坂本直(高松太郎)役として初参加させていただきました。



龍馬の甥で同志でもあった直は蝦夷地開拓に深く関わり、龍馬の遺志を引き継いで慶応4年に明治新政府の役人として箱館に渡りました。昨年五稜郭に復元された箱館奉行所(当時は箱館裁判所、後の箱館府)に赴任して箱館戦争にも従軍しており、函館とは大変ゆかりの深い人です。「蝦夷地の坂本龍馬像」建立に続き、この「箱館五稜郭祭」参加によって、龍馬子孫の直も平成の函館で復活を遂げました! 

来年は新政府軍の一部隊として、よりパワーアップして参加します。全国の熱い志を持った同志よ、集え! いよいよおまんの出番ぜよ!!

(参加連絡は電話/FAX/メールいずれもOK)


震災ボランティア活動

2011 年 5 月 8 日

 4月21日~25日の5日間、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市に出向き、NPO法人北海道坂本龍馬記念館応援隊として災害ボランティア活動に参加してきました。記念館では被災地の一日も早い復興を願い、義援募金活動や復興支援グッズの全国展開などを行っています。そんな中、“現地での支援活動に参加して、少しでも被災者の方々の役に立ちたい!”との思いを持った函館の同志3名が参加しました。

 石巻市の災害ボランティアセンターは石巻専修大学内に設置されており、連日多くのボランティアさんが全国から集まっています。参加に際しては、衣・食・宿、全てが自己責任となるため、参加者は装備品や食糧を持参し、その多くがテント生活をしながら活動を行っています(写真右)。

 活動に参加するには、まずボランティア登録を行います。登録終了後、派遣先に合わせたグループ編成が行われ、道具類を借りて現地に向かいます(写真左)。一般ボランティアが担当するのは、主に津波によって浸水した住宅の泥やヘドロのかき出し、家財道具の搬出や掃除などの作業です。

   

市内広域に渡って津波の被害を受けた石巻市内には、今もいたるところに瓦礫の山が続き、その悲惨さは目を疑うほどでした。左下の写真に写っている住宅では、地震直後に2メートル近くまで冠水したそうで、今も水の跡がくっきりと残っていました。右下の写真は市内の幼稚園に集められた支援物資の仕分け、運搬作業のようすです。

  

石巻港周辺は、道路の瓦礫が撤去された他は、ほとんど震災後の状況と変わっていませんでした。

 

 震災の現場を目の当たりにした時、ショックで言葉が出ませんでした。犠牲になられた方々には心からご冥福をお祈りします。また、一方で、必死に日々の生活を送られている被災者の方々や、それらの人々のために役立ちたいと全国から集まって来ているボランティアさんからは、力強いパワーを感じました。

 被災地の復興活動はまだ始まったばかりで、今後も長期に渡り継続されます。そんな中、災害ボランティアの存在はますます重要となり、必要とされることでしょう。若い人たちを中心に、より多くの人々がボランティア活動に参加されることを願っています。また、それをサポートする企業やNPOなどのバックアップも不可欠です。

 復興支援に少しでも寄与できますよう、私自身もこの経験を活かしていきたいと思います。そして支援の輪が大きく広がり、被災地の復興が一日も早く進むよう願っています。

 “志(こころ)つなごう、一つになろう!!”

 このたびの東日本大震災の国難にあたり、「ONE_1」シリーズ及び「蝦夷地の龍馬像シリーズ」は、復興支援グッズとして全国展開しております。併せて「函館社中」取扱い商品売り上げの一部は、震災義援金として日本赤十字社を通じて被災地の復興に役立てられます。


河田小龍特別展

2011 年 5 月 8 日

 現在、記念館では河田小龍特別展を開催しております。河田小龍は坂本龍馬に世界情勢を語り、多大な影響を与えた人物で、幕末から明治にかけて活躍した土佐藩出身の日本画家です。屏風や掛け軸、ふすま絵などを幅広く描きました。

 小龍はアメリカに渡ったジョン万次郎(中浜万次郎)の取り調べに当たり、万次郎の話の内容を自身が描いた挿絵を加えて漂巽紀畧(ひょうそんきりゃく)という本にまとめました。やがて同書が江戸に持ち込まれると、諸大名間で評判になり、万次郎は幕府直参として取り立てられます。

 また、かねて親交のあった藩御用格医師・岡上樹庵の妻が龍馬の姉・乙女であったことから、剣術修行を終えた若き日の龍馬は小龍のもとを訪ね、小龍から海外事情についての話を聞きました。

 世界事情に開眼した龍馬は“自分は船に取り組むので、先生は乗り組む士官を養成してほしい”と小龍に頼んだといいます。そしてそれは、後年見事に実現されました。

 特別展の見どころである「龍虎図(りゅうこず)」(縦180㎝×横70㎝の大作)。この龍虎図は小龍が亡くなる前年の作で、永い画業での大集成、最高傑作といわれています。対になった龍と虎はまるで生きているような迫力(写真中央)。そして「維新前高知城下十二ヶ月」は近年京都で発見されたもので、維新前高知城下の年間行事や当時の生活を一年にわたり記録写真のように伝えてくれる貴重な作品です。

 当館所蔵の全国的にも大変貴重な小龍の代表作を、この機会にぜひ堪能してください。