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西郷隆盛備忘録⑤(最終回) 「妻・糸子さんの言葉」

2016 年 6 月 24 日 金曜日

西郷隆盛の曾孫・西郷隆夫氏の講演会で紹介されたエピソードより。西郷さんは常に「人」と共に生きる気配りの人であった。夜、仕事で遅く帰宅した西郷さんは、子供たちを起こさないようにと、忍び足で家に入ってくることもしばしばだったという。その姿を想像しただけで可笑しく、優しい気持ちになる。

その後はきまって、西郷さんは糸子さんのひざまくらで今日一日の出来事を報告し、糸子さんの感想や意見を聞いたらしい。糸子さんは、西郷さんが自分にだけそういった話しをしてくれることがとても嬉しく、それを「幸せ」ではなく「仕合わせ」と表現し、ある日子供たち全員を集め、次のように語ったという。

『愛するということは、愛されることへの限りない奉仕なのです』

西郷さんはまさに、人を愛し、包み込むことで「仕合わせ」の輪を広め続けた人なのだと思う。隆夫さんのご講演を拝聴していると、自然に温かい涙がこぼれ、西郷さんの人柄に触れることができたと感じた。

すばらしいご講演を聴かせてくださった西郷隆夫氏と、この講演会にご案内くださった北海道南洲会の皆様に心より御礼を申し上げます。写真は西郷さんの妻・糸子さん。

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西郷隆盛備忘録④ 「西郷さんと函館」

2016 年 6 月 22 日 水曜日

西郷隆盛の曾孫・西郷隆夫氏の講演会で紹介されたエピソードより。明治2年(1869)、西郷さんは東京・品川を出発し、箱館(現函館)に着いたものの、結局、湾を一回りしただけで上陸はしなかったという。函館に来た目的は、新政府軍参謀・黒田清隆と、かつて親交があった榎本武揚の双方を気遣い、戦況を視察するためだったと言われている。西郷さんが函館に上陸しなかった理由については諸説あるが、どうやら黒田清隆の戦功に水を差さぬよう気遣ったらしい。

その後、西郷さんは北海道の開拓とロシアからの防衛のため、自ら北海道へ渡るつもりだったという。これは龍馬の蝦夷地開拓構想と同じもので、龍馬自身も蝦夷地へ渡るつもりでいたが、残念ながらそれは暗殺によって叶わなかった。

北海道開拓は西郷さんと龍馬共通のものであり、それはやがて黒田清隆へと引き継がれ、屯田兵として具現化することになる。もちろんそれは、当時の世界情勢を俯瞰し、国益を考えてのことであったことは間違いないだろう。写真は、札幌市大通10丁目に建つ黒田清隆像。

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記念館日記(6月19日・その2)

2016 年 6 月 19 日 日曜日

5年前にも当館に来てくださった札幌市のTさん母娘。当時高校2年生だった娘さんは現在大学4年生、すっかり大人になっていました。

高校生の頃から幕末の歴史(特に長州藩)が大好きで、将来はぜひ学芸員の仕事がしたいと話していましたが、その志は益々高まり、京都や山口(萩)を何度も訪れたとのこと。いずれは幕末の志士たちの志を多くの人々に伝える仕事がしたいと熱く語ってくださいました。

将来がとても楽しみなTさん、これからも目標に向かって頑張ってくださいね!!

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