新展示資料のご紹介(1月24日)

新展示資料のご紹介『坂本龍馬が愛した名刀の数々』

龍馬が愛した名刀がいよいよ勢揃い。全て真物! ファンならずとも必見の名刀ばかりです!!

《1段目》銘文【表】陸奥守吉行(むつのかみ よしゆき)【裏】無銘、種別 脇差、長さ45.2㎝、反り1.2㎝、目くぎ穴 1個
陸奥守吉行は陸奥出身の刀工。土佐に移住したことから土佐吉行とも呼ばれた。吉行は元禄年間に土佐藩に招かれ、同藩の鍛冶奉行となった。その作品は、土佐の刀では最も優れていると評されている。龍馬が京都近江屋で暗殺された際に所持していた刀は吉行の作であった。

《2段目》銘文【表】肥前國住武蔵大掾藤原忠廣(ひぜんこくじゅう むさしだいじょう ふじわらただひろ)【裏】無銘、種別 刀、長さ68.0㎝、反り1.3㎝、目くぎ穴 1個
龍馬が江戸での剣術修行から土佐に帰国した後、いよいよ脱藩の決意を固めて行動を開始する。同志への働きかけや路銀の調達などの下準備をする中、兄・権平はその空気を察し、龍馬から佩刀を取り上げ、親類中にも注意を促して警戒した。路銀を調達しながらも肝心の刀がない龍馬は、姉・乙女に本心を打ち明けて協力を頼め、乙女は密かに庫中より坂本家家宝の「肥前忠廣」を持ち出して龍馬に手渡したといわれる。

《3段目》銘文【表】埋忠明寿(うめただ みょうじゅ)【裏】無銘、種別 刀、長さ69.5㎝、反り1.6㎝、目くぎ穴 2個
埋忠明寿は慶長の頃の山城国の刀工で、大刀は少なく、主に短刀を作った。京都刀匠金工界の重鎮で、龍馬もその優美な姿を好んで佩刀していた。龍馬が勝海舟の身を心配し、人斬り以蔵こと岡田以蔵に用心棒を頼んだ際に埋忠の大刀を貸し与えている。また、以蔵自身も埋忠の短刀を最期まで身に付けていた。

《4段目》銘文【表】源正雄(みなもとの まさお)【裏】無銘、種別 刀、長さ76.0㎝、反り1.4㎝、目くぎ穴 1個
若き龍馬は、源清麿に憧れていたが手が届かず、その高弟である正雄を手に入れて佩刀とした。正雄は清麿の弟子の中でも特に技量に優れた名工であり、幕府の命で函館でも鎚駐するなど、動乱期において活躍した刀工である。

《5段目》銘文【表】山本忠明(やまもと ただあき)【裏】嘉永五年八月日、種別 刀、長さ75.4㎝、反り1.8㎝、目くぎ穴 1個
忠明は龍馬が持ちたかった究極の刀といわれており、龍馬が精通していた刀剣の中で最も理想としていた型がこの刀であるといわれている。バランスが良く、軽くて、丈夫で、よく斬れる。まさに三拍子揃った名刀である。

《6段目》銘文【表】相州鎌倉住圀秀作(そうしゅうかまくらじゅう くにひで さく)【裏】嘉永七歳八月日、種別 たち、長さ78.1㎝、反り1.9㎝、目くぎ穴 1個
龍馬の佩刀は数多く伝えられているが、若い頃、鎌倉武士の剛さは大刀にありと考えていた龍馬が、一度は持ちたかったのがこの相州鎌倉住圀秀であった。しかし、重すぎて実用的ではなかったため、龍馬は長くは所持しなかった。


龍馬が愛した名刀の数々②


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